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物書きを目指して

小説家を目指しています。ノープランから長編ミステリ小説を書き上げる経過をつづるブログです。

わたしが書きたいものはミステリーなのか

わたしが書こうとしているミステリーってなんだろうか?

ミステリーというジャンルを選んだ理由について考える。小学生の頃からミステリーの読者だったことを含め、ミステリーがずっと好きだったという気持ちがある。ただ、その気持ちが、果たしてミステリーというジャンルにどれだけ多く注がれているのかというと、正直わたしの場合、その分量が多いのかどうかは疑わしい。

確かに幼い時分には、江戸川乱歩アガサ・クリスティーを好んで読んでいた。この二名に関してはおそらくほとんどの著作を読んだはずだ。モーリス・ルブランも結構読んだ。ドイルのシャーロック・ホームズシリーズはそこそこ読んだ。中学生くらいになると、講談社ノベルスに没頭した。けれど残念なことに、わたしはその作品の内容を驚くほど記憶していない。まったく覚えていないというほどではないが、濫読っていうのはそういうことなのかもしれない。

振り返ってみるとわたしの記憶に残る小説というのは、謎に重きを置いたミステリーではない。よく考えてみると、わたしは真面目に推理をしながら推理小説を読んだことがほとんどない。作者にころっと誘導されて、普通に騙されて、真犯人に驚いて読書を終えることが大半だ。読者への挑戦状とやらも、まともに挑んだことがない。それどころか、複雑な時系列や密室のトリックなどが駆使されると、とたんにどうでもよくなってしまうタイプだ。ロジックなど正直そんなに重要ではなかった。わたしが読みたいのはどちらかというともっとシンプルな驚き、サプライズのようなものだった。

だからわたしは「意外な犯人」モノなどが好きだった。その犯人を理詰めで推理できるかなどわたしには重要ではなかった。さらにいうと、そこで活躍する探偵のかっこよさだったり、キャラクターのかけあいだったり、犯人の悲しい過去やドラマだったり、テーマとともに語られる様々な問答やうんちくの方がわたしにとっては重要だったように思う。なので、やはりわたしはミステリー好きとは言い難いタイプの人間なのかもしれない。自分の読書経験において、ミステリーがもっとも幅を利かせていることは事実なのであるけれど。

ではわたしが書きたいミステリーとはなんなのだろう、と考えてみた。

そこでもしかしたら、わたしは広義のミステリーに含まれると言ってもいい「サスペンスよりのミステリー」を書きたいのかもしれない、と思い始めた。推理というより推測で読者が読み進めるような、次に何が起きるのだろう、なんでこういうことが起こったのだろう、と読み進めるタイプの物語。書きたいものをこう定義すると、狭義のミステリーにおける、伏線と謎の関係が変わる。狭義のミステリーにおいては、謎の前に必要な伏線がないといけなくて、解決の後に謎を解き明かすための新しい情報や、推理できない真相が登場するなんて許されない。偶然による解決や理論的でない推理も歓迎されない’。

けれど、サスペンスはそうじゃない。はらはらさせる展開、気になって次を読みたくなる謎、推測不可能で驚きの展開、そういうものが大事なジャンルだと思う。わたしが書きたいのはむしろそういうものなんじゃないだろうか、と思う。

そう考えてみると、少し謎づくりの悩みが解けていきそうな気がする。

もう少し悩んでみます。